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生存圏フォーラム 第2回連載コラム

   現在、オクラホマ大学に長期出張しています。異国に住みながら、地域ごとに異なる言語や、歴史に裏打ちされた文化が地球上に多数ある現実の中で、普遍的な「生存圏」とは何なのかを考えます。
 最近、地政学という言葉が流行しています。肥沃な三日月地帯といわれる領域を、トルコ、ロシア、ペルシアなどかつて帝国がこの地域をまず手中に収め、アジア、ヨーロッパ、アフリカに進出していった歴史から、本地域が重要地域であることを示したものです。
 一方、ナチス・ドイツはこの概念を曲解し、中東欧に侵略する理由として「生存圏」という言葉を作り出し正当化しました。そのため戦後「生存圏」という言葉は歴史から抹消されました。そして、グローバル化が進んだ現在、再び新たな意味での「生存圏」を冠する研究所が出来ました。
 人々の科学への信頼は、パスツール、フレミングといった生理科学者の恩恵により人類の寿命が大きく伸びたこと、良い工業製品を安価に提供できるようになったことという具体的な市民への恩恵が大きいと思います。しかしこれは陽のあたらない多数の基礎研究に裏打ちされたものであることを忘れてはなりません。
 私は「生存圏」とは、「市民がよりよく生きるための安全圏を作ること」だと思います。これは本質的にトランスディシプリナリなものであって、専門分野に閉じこもっては本質が分かってこないと最近思うようになりました。学際研究、産学連携など様々な人々と出会い、様々な方から教えを乞い、新しい「生存圏」とはなになのかを探索する日々です。(生存圏フォーラム会員 京都大学助教 古本淳一)