生存圏フォーラム41回連載コラム
ある若手研究者向けの会合で講演する機会を頂いた。主催者からのリクエストは、研究の話はそこそこに、後輩たち(将来研究者を目指す大学院生や若手研究員たち)に希望や励ましを与える経験談をというものであった。安易とは思いつつ、ここは大学院卒業後に経験した海外留学の話がもってこいと考え、講演スライドに使えそうな素材はないかと、久しぶりにアメリカ研究員時代の写真を掘り起こした。懐かしい当時の写真を見返すと、薄れていた様々な記憶が蘇っていく。ふと、渡米して間もない頃に撮った部屋の床に転がる黒猫の写真に目が止まった。本物のネコではなく、日本から筆者が持参した宮﨑アニメの名作「魔女の宅急便」に登場する黒猫ジジのぬいぐるみである。間もなく三十路(当時)を迎えようとする男子が猫のぬいぐるみを大事に持つことにはそれなりの理由が勿論ある。「魔女の宅急便」は、魔女見習いのキキが、親元の小さな村を離れ、誰も知らない都会で、魔女として、人間として、一人立ちしていく姿を描く。13歳の少女キキがその修業生活の相棒として連れて行ったのが幼馴染の黒猫ジジである。期待と不安の入り混じった渡米を前に、自分もキキのようにアメリカで大きく成長したいという願を懸け、ジジをトランクに詰めたことを思い出した。その願いが叶ったかどうかは別として、自分なりに強い決意で望んだ留学であった。とは言え、その写真を見るまではジジの記憶とともにそこに込めた思いも多少薄れてしまっていたのかもしれないなと思うと少し寂しい。初心忘れるべからず。後輩に向けた講演は図らずも自分を励ます機会となった。
(生存圏フォーラム会員 京都大学准教授)