地球から逃げ出すイオンの行く末

■ 概要

日本の「あけぼの」衛星などの観測結果を用いた統計研究によると,毎秒1026個ものイオン(主に水素イオンと酸素イオン)が重力を振り切って地球の極域から宇宙空間に向かって流出していると見積もられています (阿部,1999)。一日あたりに換算すると数百トン。 これだけ大量のイオンはどこへ行くのでしょうか。地球に戻ってくるイオンはどのくらいあるのでしょうか。 地球の大気は将来無くなったりしないのでしょうか。 数値シミュレーションによってイオンの行く末を調べています。

■ 地球から逃げ出すイオンの行く末

イオンの行く末を知るためには,イオンの軌道を追跡すればよいのです。 人工衛星観測に基づく経験的な地球近傍の宇宙空間の磁場と電場のモデルの中で イオンがどう運動するかは簡単なローレンツ方程式を解くだけわかります。 この手法で多くの研究者がイオンの軌道を追跡し,宇宙空間にどのようにどれだけ 広がっているか見積もってきました。しかし,これまでの計算ではイオンの量を 定量的に議論する上で決定的な問題がありました。 イオンの軌道は出発する位置と初期速度の6次元量で決定されます。 同じ位置から出発したとしても初期速度が違えばイオンは全く違った軌道をとります。 これまでの計算では出発するイオンの出発位置と初期速度が著しく限定されており, 現実のイオンが有する速度分布関数が全く考慮されていなかったのです。 イオンの流出量は多いときは毎秒1026個。全てのイオンを計算機で追跡することは現実的には不可能です。


そこで,位相空間写像を用いた計算手法を新しく開発し,流出イオンの行く末を定量的に求めることをはじめて可能と しました。実空間と速度空間(位相空間と呼びます)をできるだけ細かく分割し,それぞれの細かい位相空間を代表値として軌道を追跡するのです。1個の代表イオンに含まれる実際のイオンの個数はリウビウの定理によって保存されますので,もし十分に細かく位相空間を分割したならば,イオンの行く末を原理的には正しく定量的に求めることができるはずです。


下の図は極域のある地点から出発した酸素イオンがどこに到達するかを計算によって求め,結果を速度空間で示したものです。 一番外側の円がエネルギー200電子ボルトに相当し,上方向が磁力線方向になります。 最終到達地が磁気圏境界であれば赤色,磁気圏尾部であれば青色,リングカレント域であれば緑色,大気圏であれば黄色のように,最終到達地によって色分けしました。最終到達地は初期エネルギーによっても,初期ピッチ角によっても全く異なることが わかります。 興味深いことは,黄色で示された領域が図の中で散見できるということです。 つまり,重力を振り切って逃げ出した酸素イオンの一部は大気圏に戻ることができるということを示しており, 速度空間で初期速度を細かく分割したからこそ得られた結果といえます。

下の図は磁気緯度55度から85度まで10度刻みに,すべての地磁気地方時から出発する 酸素イオンの最終到達地の速度空間マップを並べたものです。 出発地によって最終到達地の速度空間マップが全く異なることがわかると思います。


次の問題は,流出するイオンの分布関数のモデルにありました。 イオンの流出のしかたは昼側と夜側で違いますし,緯度によっても違うことは 人工衛星観測によって知られていますので, 同じ分布関数を極域全体に当てはめるのはためられます。 また,単位面積・単位時間当たりの流出イオンの量の空間分布はいくつかモデル化されているのですが, 私が知りたいのは分布関数であり情報量が足りません。 北大の山田さんと渡部先生が「あけぼの」衛星の観測に基づく流出イオンの 経験モデルを作られているということを偶然知り,早速私の計算コードの境界条件として組み込みました。 この経験モデルは流出イオンの諸量(密度,温度,磁力線方向の速度)を 緯度,経度の関数だけではなく,太陽の黒点数,地磁気活動指数(Kp),季節も考慮されている点で 他のモデルに抜きん出て優れており,これまで為しえられなかった定量的な計算を可能としました。


結果を次の表にまとめました。磁気圏の磁場の形状として,磁気嵐の状態と 静穏時の状態の二種類を考えました。 同じ電離圏電場ポテンシャルを与えることにより,磁場の形状の違いがイオンの 行く末にどう影響するか興味があったのです。 計算してみると,磁場の形状は酸素イオンの行く末に大きな影響を 与えていることがわかりました。 磁場形状が磁気嵐の状態のとき,流出したイオンの半数がリングカレント粋に 辿り着きます。辿り着いたイオンのエネルギースペクトルを調べたら 数十キロ電子ボルト付近にピークが現れ 実際に観測されたスペクトルと良く似ているのです。 出発時の酸素イオンの温度は数電子ボルトですから,1万倍以上も 加速されたことになります。しかも,静的な電場と磁場のもとでも これだけの加速が効率よく行われ,観測されたスペクトルとよく似た スペクトルが再現できたことはある意味驚きに値します。 磁場形状が静穏時になると,リングカレントに辿り着くイオンの数は激減します。 このことも観測された事実とよく一致します。


磁場形状が静穏時になると,大気圏に戻るイオンの割合が増えるということも 新しい結果です。静穏時は磁気圏尾部の磁場形状が磁気嵐時に比べるとやや膨らみ, プラズマシートとよばれる反平行磁場のある領域が厚みを増します。 そうすると第一断熱不変量が破られやすくなる時間が増え, プラズマシートを通過でイオンが散乱されやすくなり, 結果としてまた地球に戻ってきやすくなると考えています。

 

最終到達地 磁場形状が磁気嵐の状態 磁場形状が静穏時の状態
電離圏(大気圏)
0.8 %
4.8 %
磁気圏尾部
8.4 %
0.014 %
磁気圏境界
39.5 %
82.9 %
リングカレント
51.5 %
12.3 %

 

■ 参考文献

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