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生存圏フォーラム38回連載コラム

「そだねー」が早くも流行語大賞の候補になっているとか。北海道弁であるとかないとか、あれこれ議論はあるようだが、いずれにしても、札幌で学生時代を過ごした私にとって、カーリング女子チームが試合中に発したこの言葉(というよりアクセント)は、確かに耳に馴染む。さて、私の職業は出張こそ多いものの、“世界”というのはかなり広いらしく、意外と札幌に行く機会が少ない。しかし、1年ほど前、札幌を訪れる機会に恵まれた。学会の懇親会場を出て私が向かったのは、学生時代にお世話になった下宿である。そこは、若くしてご主人と死別したという一人のおばさんがオーナー兼学生たちの母親代わりで、ときどき泥酔した男子学生の尻を叩いて怒鳴りながら、毎日の朝晩の食事の世話をしてくれた。年齢はもう90に近いだろうか。もしかして病気を患ってはいないだろうか。私のことを覚えていてくれるだろうか。いろんなことを考えながら、暗い夜道を歩いていると、やがて見覚えのある落ち着いたベージュ色の壁をした下宿の建物が目に飛び込んでくる。逸る気持ちを必死に堪え、玄関のベルを鳴らす。まもなく、ガラスドアの向こうには背の低い人影が現れ、ちょっと怪訝な顔つきでこちらを伺っている。そして、ドアが開く。そこには、昔とまったく変わらない様子のおばさんが立っていて、しばし私の顔を見て、不思議そうな表情を浮かべている。私が「夜分にすみません、こちらで昔お世話になりました●●です」と言い終わるか否かというタイミングで、「おやまぁ、●●さん!」と耳馴染みのある声ではっきりと私の名前を呼んでくれた。次の瞬間、私はおばさんに抱き着いて、大声で泣いた。良かった、元気でよかった。またちゃんと会えた。齢90にならんとするのに、足腰がピンピンしている。タバコも麻雀も現役だそうな。生きてて良かったー、いや、おばさんじゃなくて、私がね。本気でそう思った。さて、感動の押し売り話はこれくらいにして。話に花が咲き、そろそろ失礼しなければならない。お別れのご挨拶をし、いったんは見送ってくれたおばさんが、今一度玄関のドアを開けて、立ち去ろうとする私を呼び停めて、こう言った。「あんた、奥さんのこと大事にすんだよ! それと、子供は全力で育てんだよ!」 ごく当たり前の助言にも思えるが、人生の先輩が力を込めて発する言葉には、魂が宿っているのだろうか、私はホテルへの帰り道でこの言葉を何度も反芻していた。同時に、最近の社会はこういう当たり前のことを当たり前のように言わなくなってしまったような気がして、ハッとさせられた。年寄りの語るちょっとした助言には、よりよい人生を歩んでいくため、また、よりよい社会を未来に受け継ぐために大切な示唆を含んでいることがある。人類は、世代が変わっても、みんな必死で生き、子孫を残してきた。文化の継承や進化もまた、Sustainabilityの重要な要素であるのだと再認識させられた機会であった。

(生存圏フォーラム会員 京都大学准教授 K.T.)