京都大学生存圏研究所森林代謝機能化学分野は、京都大学木材研究所リグニン化学部門として発足した。初代教授として、カナダ平原地方研究所研究員とフランスグルノーブル大学客員教授をそれぞれ2年および1年勤めたばかりで新進気鋭の、岐阜大学農学部林学科樹木生理化学講座樋口隆昌教授が、昭和43年4月1日に着任した。また、助教授には木材研究所木材化学部門佐藤惺講師が着任した。次いで、同年5月16日、山崎徹助手が、同年12月1日に北村晃子助手が着任した。山崎徹助手は、同年12月に香川大学農学部へ、北村晃子助手は昭和46年3月京都薬科大学へそれぞれ転出した。山崎助手の後任として、岐阜大学農学部林学科樹木生理化学講座より島田幹夫助手が昭和43年11月に、また、北村助手の後任として、中坪文明助手が昭和46年4月に着任した。さらに、昭和50年7月、棚橋光彦助手が着任した。

昭和40年代から昭和50年代のはじめまでは、当時未解明のイネ科植物リグニンの化学構造の研究、リグニン生合成酵素系の研究がなされた。


この間、各スタッフも助手時代、順次海外留学を経験し、生化学や有機化学の先端手法の導入に積極的に取り組んできた。島田助手(米国カリフォルニア大学デービス校[コーン教授]、2年間、米国オレゴン大学院センター[ゴールド教授]、1年間)、中坪助手(米国ハーバード大学[岸教授]、2年間、米国マジソン林産物研究所[カーク博士]、4ヶ月)である。


その後、昭和56年10月、中坪助手が京都大学農学部林産工学科林産化学講座助教授として転出した。翌年4月梅澤俊明助手が着任し、さらに昭和59年11月、島田助手が講師に昇任した。その後、平成2年4月、棚橋助手が岐阜大学農学部助教授として転出した。昭和50年代中ごろから樋口教授の停年退官までの約10年間は、リグニンの微生物分解機構解明に関する研究(島田、中坪、梅澤)と木材の科学変換技術(爆砕)(棚橋)に関する研究が集中的に行われた。


なおこの間、梅澤助手は、1年2ヶ月間米国ヴァージニア工科大学[ルイス准教授]に留学し、天然物化学・植物代謝化学に関する研究に従事した。


平成3年3月、樋口教授の停年を迎え、直ちに島田講師が第2代教授に昇任した。樋口教授は、停年退官後平成6年3月まで、日本大学生物資源学部教授を務めた。


樋口教授の在任は22年間に及んだが、この間の業績とりわけ、リグニンの生合成と生分解機構の研究に対し、日本林学会賞、日本農学賞、グルノーブル大学名誉学位、米国化学会セルローステキスタイル部門アンセルムペイエン賞、紫綬褒章、日本学士院賞が授与された。さらに、国際木材科学アカデミー会員や、米国科学アカデミー海外会員に選出されるとともに、平成12年、勲二等瑞宝章が授与された。また、この間、島田助手、中坪助手、棚橋助手、梅澤助手は、日本木材学会賞を受賞し、島田助手、中坪助手は、国際木材科学アカデミー会員に選ばれている。


平成3年4月の島田教授昇任後、同月直ちに木材研究所は木質科学研究所に改組された。改組に伴いリグニン化学部門は、生化学制御分野と名称変更し、島田教授、梅澤助手がそのまま在籍、佐藤助教授は古巣木材化学部門が名称変更したバイオマス変換分野の助教授に就いた。次いで、同年6月に服部武文助手が着任した。平成5年4月梅澤助手が助教授に昇任し、平成17年3月の島田教授の定年退職までは人事に変動無く3人体制が続いた。


この間、服部助手は、1年間米国ペンシルバニア州立大学[ティン教授]に、梅澤助教授が、8ヶ月間米国ミシガン工科大学[チャン教授]に留学し、それぞれ微生物および植物分子生物学の導入を図った。また、梅澤助教授は、国際木材科学アカデミー会員に選出されている。


平成16年4月、木質科学研究所は宙空電波科学研究センターと融合改組され、生存圏研究所となった。この改組に際して、生化学制御分野は森林代謝機能化学分野と名称変更した。翌年3月、島田教授は定年退職し、福井工業大学教授に着任し現在に至っている。島田教授の在任は14年間であったが、この間、木材分解菌の代謝生理(島田、服部)、樹木フェニルプロパノイド代謝の化学(梅澤)に関する研究が進められた。


平成17年7月には、島田教授の後任として、梅澤助教授が第3代教授に昇任し、現在に至っている。


なお、平成18年4月、生存研を含む宇治地区4研究所と東南アジア研究所が共同で生存基盤科学研究ユニットを立ち上げた。同ユニットの専任として平成18年5月、鈴木史朗助教が着任し、梅澤教授および服部助教との連携の下、当研究室にて同ユニットのプロジェクト研究を進めてきた。その後、平成22年4月鈴木助教は、当研究室の助教に着任した。


一方、服部助教は、平成23年10月、徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部准教授として栄転した。