研究内容

ムラサキのシコニン生産

二次代謝調節

二次代謝は矢崎教授が最も長い間携わってきた研究分野なので、実績的からするとこの分野が一番多くの業績を残している研究テーマと言えるかもしれません。現在は、樹木に特異的な二次代謝を研究しているわけではありませんが、草本木本に限らずどちらにも共通に存在する二次代謝経路の研究を、モデル植物を用いて行っています。
 高等植物は実にたくさんの二次代謝産物を生産します。花の色、ハーブの芳香、スパイスの辛味、森林や木材の香り、いずれも植物の生産する二次代謝産物です。中にはケシの生合成するモルヒネや、イチイの生産するタキソール等医薬品として無くてはならない天然有機化合物も、みんな植物の二次代謝産物です。植物がなぜ二次代謝産物を作るか、という理由に関しては諸説ありますが、現在のところ有力なのが、「二次代謝産物は細菌や草食動物あるいは紫外線から自らを守る生体防御機構として働いている」との見方です。それ以外にも、虫媒花においては昆虫の誘因、あるいはマメ科植物では根粒バクテリアとの相互作用など、様々な生理機能を担っているものがあることが分かりつつあります。
 二次代謝産物は、化学構造を見ても生理活性を調べても、複雑でかつ多様性に富んでいますが、その生合成経路はまた、一般的に非常に複雑です。こういった二次代謝産物の生合成経路を調べる研究は、ヨーロッパなどを中心に古くから行われてきました。最近では、分子生物学の発達とともに、その生合成経路の全解明や、生合成酵素のクローニングや結晶化を通じて、基質特異性の制御や産物の立体選択性等、多くの基礎的な知見が分子レベルで解明されるようになってきました。それとともに、これらクローニングされた生合成遺伝子をツールに用いて、代謝工学による遺伝子組換え植物による薬効成分の生産が可能となってきました。

 我々の研究室では、テルペノイド系の代謝経路と、芳香族化合物の生合成上で重要なシキミ酸経路に関する研究を行っています。その具体的例として、シコニンの生合成研究の紹介をします。シコニンは、ムラサキ科に属する植物のみが生合成することのできる赤色のナフトキノン系の化合物です。この化合物の名前は、その原料植物のムラサキの根が漢名「紫根(しこん)」と呼ばれることに因んでいます。紫根は悪性腫瘍などの治療に用いる漢方方剤に処方されるだけでなく、火傷や傷、痔疾の特効薬とされる「紫雲膏」の主剤として重要な生薬です。シコニン自体には、殺菌・消炎・止血作用が知られていましたが、最近では抗腫瘍活性や血管新生抑制作用等が報告され、薬理学的に非常に注目を集めています。薬用だけでなく、古くから紫根は、染料として「紫根染」の原料とされてきました。その歴史は古く、聖徳太子が冠位十二階を定めるに当って官僚の順位を服飾の色に定めた所にまで遡れるようです。因みに、紫根染で布はきれいな紫色に染まりますが、紫は冠位十二階の「最高位」とされています。上記のように、昔から有用性が広く認知されているシコニンですが、肝心のムラサキは今日では絶滅寸前の状態で、野生品が見つかると新聞に出るくらいまで個体数が激減してしまっています。しかも栽培も難しく、シコニンの化学合成も実用的なレベルにはほど遠いのが現状です。
 そこで、培養細胞による生産が京大薬学部の田端教授の研究室で始められ()、最終的には三井石油化学(現・三井化学)により工業レベルでの生産系が確立されました。できたシコニンは、最初化粧品(カネボウ化粧品・バイオリップスティック)に応用されましたが、これが植物培養細胞を用いた二次代謝生産の工業化の世界最初の成功例になりました()。その成功の鍵は、M9と名付けられたシコニン生産培地にあったわけです。ところが、この培養細胞系は、工業的に有用なだけでなく、植物二次代謝の研究モデルとしても最適であることが分かってきました(後述)。我々はこの好適培養細胞系をモデルとして使い、シコニンの生合成経路の解明と、その調節機構(特に光による負の調節)の研究に携わっています。



シコニン生合成調節

 シコニン生合成は、シキミ酸経路に由来するp-hydroxybenzoic acid (PHB) とメバロン酸経路に由来する geranyl diphosphate (GPP) がカップリングして、さらにそのゲラニル側鎖の閉環によるナフタレン環形成、数段階の酸化反応を経て行われます。つまり、植物二次代謝における大きな生合成経路の2つが複合してシコニンはできていることになり、これら生合成経路に関わる遺伝子のソースとしてムラサキは優れていることになります。特にムラサキが他の植物に比べてモデルとして優れている点は、そのシコニン生産が培地の種類によって完全な誘導系として制御できることにあります(培養細胞の図参照)。これにより、タンパク質や核酸の調製に邪魔なシコニンを作らせること無く、必要な遺伝子や酵素を扱うことが可能です。また、シコニン生産は酸性多糖やジャスモン酸メチルで促進され、光やアンモニウム・イオンによって、強く抑制されます()。これらは、植物の環境応答の良いモデルとなります。
例えば光の例を取ると、光で発現が上昇する二次代謝遺伝子はフラボノイド系化合物の生合成でよく研究されていますが、シコニンは光照射で完全にブロックされてしまいます。光による二次代謝の遮断の例として、これほど明確なものはそう多くありません。また、組織特異性もはっきりしています。根の断面写真を見て下さい。シコニンは、根の最外層、つまり表皮細胞でのみ生産されます。これは、シコニンが土壌中の最近やカビに対して防御物質として働いているという傍証になっていますが、表皮細胞特異的遺伝子発現のモデルとしては、非常に好適であると言えます。また産物が赤色のため、肉眼でもその発現のOn/Offがモニターできるという利点もあります。
以上のように複雑な制御を受け、ほとんど0-100%のレベルでシコニン生産を制御している生合成ステップはどこでしょうか。実はかなり前から、PHBとGPPのカップリングを触媒する酵素 PHB: GPP: geranyltransferase がその鍵酵素であることが分かっていました。しかし、この酵素は厄介なことに膜結合性で、精製が非常に難しく、大切であることが分かっていながら長いことクローニングができませんでした。最近になって分子生物学的アプローチにより、ようやくそのcDNA2種類をムラサキからクローニングすることができました。この酵素の重要性が示唆され始めてから既に20年近くが過ぎようとしていた2001年のことです。


PHB: geranyltransferase クローニングの意義

 この酵素(ムラサキのPHB: geranyltransferaseということから、LePGTと名付けました)のクローニングの成功は、植物二次代謝産物の研究にとって、大きなブレイクスルーになるだろうとの予想が当初からなされていました。というのは、天然にはプレニルフラボンやプレニルクマリンなど、芳香環がプレニル化された化合物が非常に多数あるにも関わらず、それらの生合成酵素の精製やクローニングの例がこれ以前には全く無かったからです。我々のクローングしたムラサキのPHB: geranyltransferase は、高等植物にたくさん存在するはずの、芳香族基質プレニルトランスフェラーゼとして初めてのクローニング例となりました。これを取っ掛かりに、二次代謝にかかわる膜結合型プレニルトランスフェラーゼの遺伝子が次々と単離されてくることが期待されます。


ユビキノン(Coenzyme Q)の代謝工学」

 ユビキノン(コエンザイムQ)はバクテリアからヒトに至るまで広く生物界に存在 し、ミトコンドリアの電子伝達には欠かせない生体キノンですが、医薬品としては心 臓の機能改善薬としても利用されます。近年、この化合物に老化防止や皮膚のクスミ やシワの防止効果が見出され、食品添加物、機能性食品、化粧品などとして非常に注 目を集めています。我々は、早い時期にこのユビキノンの生合成に興味を持ち、中間 体のヒドロキシ安息香酸のプレニル化反応を行う酵素の遺伝子を取得していました。 因みに、このプレニル基がユビキノン(コエンザイム)分子に付いている鎖の部分と なります。ヒトのユビキノンはCoenzyme Q-10ですが、それぞれの生物は固有の長さ の鎖を有するユビキノン分子を持っています。例えば、酵母ではユビキノン-6、タバ コではヒトと同じユビキノン-10(コエンザイムQ10)が作られています。
我々は、最近、酵母のユビキノン生合成遺伝子COQ2を使って、酵母とタバコでユビキ ノンを2~6倍にまで増産することに成功しました(図1)。面白いこと に、ユビキノンを高生産している植物は、活性酸素などの酸化ストレスに対して強い 性質を持つことをこの研究で見出しました。ここではその一例、塩ストレスに対する 耐性の図を示します(図2)。塩は台風などによって海水が水田に運ばれる ことで、稲作に大打撃を与えます。秋田など東北地方に大災害をもたらした2004年の 台風15号は記憶に新しいところです。塩害に強い植物は様々なアプローチから作ら れていますが、ユビキノンが塩害に効果があるというのは、我々の新しい発見です。 従来の技術と組みあわせることで、より塩に強い植物ができるかもしれません。


暗黒下発現遺伝子と膜小胞輸送

 シコニンはアントシアニンなどの液胞の蓄積する水溶性色素と異なり、全く水に溶けない性質を持っています。しかも、シコニンを作るムラサキの細胞は、この脂溶性赤色色素を細胞の表面や培地に分泌します。光学顕微鏡で見ても赤い顆粒が細胞の表面に付着したり培地に浮遊している状態を観察できます。これは、シコニンが油に溶けた状態でオイルボディーのような膜系に包まれて、「赤い粒」として培地に懸濁している状態なのです。シコニン生合成の後半は小胞体(ER)や、そこから派生した膜系で行われることが示されていますので、水に溶けないシコニンは油と一緒に膜小胞に包まれ、小胞輸送系で細胞の外に分泌されているというモデルが提唱されました。これは、植物が脂溶性二次代謝系有機化合物を細胞内で生合成した後、どのような機構で細胞外へ分泌しているか、を説明するものとして、極めて先駆的なモデルでありました。この様な分泌系は、たまたまシコニンという化合物に色が付いていたからこそ、割合早い時期に我々の目に触れたというだけで、おそらくは植物に普遍的に存在する物質輸送機構だと考えられます。
 我々は、ムラサキのシコニン生産が光照射下で完全にブロックされることを利用して、この輸送に関与するタンパク質をクローニングしようと考えました。利用したテクニックはsubtractive hybridizationで、暗黒下で発現している遺伝子から、光照射下で発現している遺伝子の「引き算」をしたものです。その結果、たくさんの暗黒下発現遺伝子(LeDI genes)がクローニングされましたが、その内、非常に明確な暗黒下特異性を示したクローンにLeDI-2があります。この遺伝子はたった114アミノ酸からなる小さなタンパク質をコードしていましたが、これは非常に疎水性のアミノ酸からなり、膜結合性のタンパクであることが後に証明されました。この遺伝子の機能を調べるため、ムラサキの形質転換系を確立せねばなりんせんでしたので、試行錯誤の結果、Agrobacterium rhizogenesを介し 毛状根としてムラサキに希望する遺伝子を導入する方法を確立しました。この系を利用し、ムラサキ毛状根にLeDI-2のantisense を導入した結果、フェノタイプがややleakyではありますが、LeDI-2の発現を抑制すると、シコニンの生産も低下するという正の相関を得ることができました。さらにオワンクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)を使った実験から、このタンパク質はERか、そこから派生した膜上に局在することが示されました()。
現在、シコニン小胞に局在しているかの証明を含めて、その詳細な機能の解明を行いたいと考えています。


テルペノイド代謝工学への展開

 脂溶性の二次代謝産物として、多くのバリエーションをもつグループにモノテルペノイドがあります。テルペノイド(イソプレノイド)は最も化学構造のバリエーションの多い二次代謝産物と見なすことができますが、その内、炭素数10個のモノテルペノイド類は、バラやハッカなど、植物の芳香成分として我々の生活に欠くべからざる天然物です。
 我々は、二次代謝系の遺伝子を用いた代謝工学に興味を持っております。アルカロイドやフラボノイドでは既にいくつかの成功例がありますが、二次代謝産物の生合成に関与する遺伝子を高発現させたり、逆にサイレンシングを起こしたりすることで、花の色を変えたり有用な薬効成分を多量に作らせたりする分子育種技術のことです。我々がやろうとしているのは、これまであまり例の無いモノテルペンの代謝工学で、それにより、植物の香りのエンジニアリングを試みようというものです。例えば、本来香りのなかった植物に、バラの香りを作らせたり、天然の交配ではどうしてもできないトーンの芳香を持った香料植物や、森林浴を介して、より人間の健康増進に役立つような樹木を作成したり・・・(図)。実際にこんなことができるかどうか、全てはこれからですが、とにかく実験室レベルでやってみよう、というのが現在の状況です。近いうちに、このホームページで面白いデータを報告できるかもしれません。


二次代謝研究における現在の我々の興味

 我々が今後、このムラサキのシコニン生産系において、明らかにしたいと思っている点を箇条書きにしてみます。

  1. 芳香族を基質とする初めての植物プレニルトランスフェラーゼとして、この酵素の構造生物学的へと研究を進めたいと思います。なぜならば、全く初めての酵素であることから、この分野でのイニシアチブを取れるものであるからです。特に、ムラサキの酵素が特異的に示すプレニルドナーに対する基質特異性の分子機構には多いに興味が持たれます。
  2. ユビキノン生合成にもプレニルトランスフェラーゼがあり、最近酵母の本遺伝子 をタバコで発現させてユビキノンノン-10(コエンザイムQ10)の増産に成功しました。今後は、有用植物 におけるユビキノンの増産に総合的に取り組むとともに、様々な生物で未解明のユビキノン生合成経路の全容を明らかにしたいと思っています。
  3. LeDI-2にしろ、LePGTにしろ、これらの遺伝子発現の光による負の制御は明らかです。この遺伝子発現の光抑制機構を分子レベルで解明することは、二次代謝の調節機構を明らかにするうえで大事であるばかりでなく、代謝工学に有用な、光遮断型人工プロモーターの開発につながるものと考えています。
  4. ムラサキのGPP生合成酵素は、これまでに知られるモノテルペン共役型のGPP生合成酵素と全く異なり、細胞質局在型です。細胞質局在型の類似酵素としては、farnesyl diphosphate transferase (FPP合成酵素) が知られますが、これとは一線を画した特徴ある生産物特異性をムラサキの酵素は持っています。このような酵素のクローニングは、二次代謝研究に新しい知見をもたらすものとして、テルペノイド研究分野で様々な側面から着目されています。
  5. LeDI-2の項で述べたように、植物の脂溶性物質の輸送機構は、植物の生命科学研究者から見て、ジェネラルで非常に魅力的な研究テーマです。シコニン生産系という好適なモデル系を使えば、必ずその本質に迫ることができると信じています。

こういった研究に興味のある学生さん、一つ自分がその解明をやってやろうという意欲のある学生さん、研究が好きな学生さん、是非私たちと一緒に研究をやってみませんか。まず研究室を訪ねてきてみてください。我々の研究室のメンバーになるためには、京都大学大学院・農学研究科の応用生命科学専攻を受験していただく必要がありますが、我々は植物が好きで生物が好きでやる気のある学生さんに、常にオープンでありたいと思っています。是非、受験をしてみて下さい。受験案内はこちら

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